マレーシアの纏足の女性達と靴職人の話

海外の服飾文化

こんにちは、宮寺理美です。

私はずっと「纏足」を中国固有の文化だと認識していました。
しかし、最近、その認識を改める機会がありました。

1993年に、マレーシアで製作された纏足の靴です。
中古品の販売サイトで購入しました。

2019年11月に上海に行った際に立ち寄った服飾博物館でも、
纏足の靴が展示されていました。
あまり寄りの写真は撮っていなかったのですが、
こうしてみると素材も製造方法も、そして年代も違うようですね。

上海紡績服飾博物館

言うまでもありませんが、日本と中国は服飾や装飾に共通点が多いです。
仏教や儒教なども中国から渡来し日本列島に定着した文化ですし、
宗教と、美術や死生感との関係も大変深いですよね。
なのに、靴には共通点があまりないのです。
それがとても不思議に思えて、今も足元の文化の事にアンテナを張っています。

文化が違うという事は、それが醸造された社会の仕組みも違う
と言っても差し支えないと思いますが、
本を読むだけではそこまではなかなか判別できませんね。

マレーシアの纏足の靴には、英語のリーフレットのようなものが添付されていました。
恐らく新聞記事だと思うのですが、靴が製作されたのは1993年、記事は1988年のものでした。
恐らく、商品に添付して啓蒙のために使用されていたのだと思います。
その意図を尊重した上で、内容を翻訳してご紹介したいと思います。

私は英語が全くできないので、
ちょっとニュアンスが違う部分もあるかもしれません。
しかも、マレーシアの英語?なので、
私が学校で習ったアメリカ式の英語と違うんですよね。
意味を理解するのに少し苦労しましたが、
全体的な意味は大体合っていると思います。

ー纏足はかつて、古代中国の女性の誇りと美しさでした。
その伝統は、21世紀のマレーシア、マラッカのジョーカーストリートの靴店で生きています。

古代中国、明代では女性のみが「躾(breeding)」と「品質(quality)」のために纏足をしていました。
彼女達は貴族で、かつては1番足の小さな女性が1番美しいとされていました。
時代が変わり、流行や要求も変化し、
女性達はもう纏足をしませんし、男性達も「美人の印」をサーチしなくなりました。
しかし、マレーシアには、まだ何人かの纏足の女性が生きています。
彼女達の足は旧時代の、次第に消えていくシンボルです。
しかし、それは彼女達が生きている間、ずっと続きます。

彼女達の繊細な足のための特別な靴を作り、彼女達のために生きる1人男性がいます。
マラッカに住む59歳の楊善悦さん、彼は小さな足は持っていないかもしれませんが、古代の伝統の中で生きる人々のために靴を作る数少ない職人の1人です。
彼の家業は、時代を超えて彼に受け継がれています。

楊善悦さんによると、纏足は時々「三寸金蓮」と呼ばれるそうです。
纏足は中国の明王朝に始まり、主に王族貴族と裕福な人々の文化でした。
時の経過と共に一般の人々にも流行し、トレンドになりました。
第一次大戦前、海峡植民地には1000人の纏足の女性がいました。
彼女達は主に広東(現広東省)や福建(現福建省)の出身でした。
今日、纏足の女性は減少しました。
しかし、マラッカとペナンにはまだ10人ほど纏足の女性がいます。
主に80代から90代の女性です。

靴の料金は100ドル~150ドルくらいで、注文方法は電話か、店頭で購入するかのどちらかです。
絹の入手は難しく、入手するためにシンガポールのエージェントを使って、中国から絹を輸入しています。
(当時の物価としては上記の価格は高額だったようです。)
ドラゴンとフェニックスの図案は、中国の図案として知られています。
費用は大体1mにつき30ドルほどです。

靴の生成には、多くの忍耐と厳しい労働が必要だ、と楊さんは言いました。
まず、靴の形に台紙をトレースし、台紙のアウトラインにしたがって生地を裁断します。
布を、手と特殊な接着剤を使用して貼り付けながら、靴を成形します。
1足作るのに大体半日ほどの時間がかかるそうです。
観光客のお土産用の靴も製造しています。

楊さんに家業のスタートについて伺いました。
「私の祖父は1918年に、Eng Tong(恐らく旧安東省?)からマラヤに移住しました。彼は上陸した時、労働者としてコーヒーショップのアシスタントとして働きました。その後、靴事業に参入しました。
祖父は福建の男性から纏足作りを学びました。」

文中に登場する「海峡植民地」とは、1826年に成立したイギリス植民地の名称です。
19世紀になってプランテーションでのゴム栽培が盛んになると、中国から労働者の流入が盛んになったそうです。

残念ながら、私の1987年生まれの私が学生の頃に受けた歴史の授業では、
帝国主義国からの植民地支配、過酷な労働、などは習いましたが、
それが東南アジアの人々や移住した人々の生活に、
どのように影響しているか、までは踏み込んでいなかったように記憶しています。
世界史の教科書には、当時の人々がどのように生きたか、までは掲載されないことが多いです。
しかし、民間の靴店が文化の継承だけでなく、
どうしてこの地に纏足が存在したのかまで伝承しているなんて…と、
上手く言葉にできない気持ちでいっぱいになりました。

一足作るのに3ヶ月「ニョニャ・ビーズサンダル」 
2021年 Wah Aik Shoemaker – 行く前に!見どころをチェック – トリップアドバイザー

楊さんのお店、Wah Aik Shoemakerを調べてみたところ、
どうやら彼らの家業は継承されているらしい!
というところまでたどり着きました。(住所は変わっていました。)
オーナーさんのお名前は「ヨーさん」だそうなので、
楊善悦さんのご親族の方が跡を継がれたのかもしれませんね。
トリップアドバイザーのレビューは2018年なので、
その後はどうなっているのか少し不安ですが…
纏足の靴だけでなく、正装用の美しいビーズサンダルも販売されているようです。

私、ここに、絶対行く。
今度は中古品ではなく、現オーナーさんの作った靴を買いたい。
と、実はこの記事を書いたのは2021年なのですが、
以前、新型コロナウイルスは猛威を振るっていて、
正直、いつになるかは分かりません。
でも、いつか必ず訪れたいと思います。
もしもその夢が叶ったら、中古品ではなく、新品の靴をお土産に買って帰りたいと思います。

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