こんにちは、宮寺理美です。
私のSNSなどを見て下さっている方はご存じだと思うのですが、
私はアンティーク着物と呼ばれる年代の古い着物が好きです。
実は元々は、着物ではなくて古着の洋服が好きでした。
特に好きだったのは60年代のイギリスや、50年代のアメリカのスタイル。
もちろん、今でも大好きです。
最近では若い方々の間で80年代風が流行っている、なんて聞きますが、
若い世代の流行は年々刹那的になっていっているので、
今頃は全然違うものが流行っているのでしょう。
私は1987年生まれなので、80年代の空気を「なんとな~く」知っているせいか、
70~90年代にはそこまで惹かれないのが我ながら不思議です。
「着物を好きになったきっかけは何ですか」
こんな質問を時々いただきます。
私の場合、これだ!という理由が複数あって、
まず、母が着物好きだったこと。
家に着付け小物などが揃っていたので、興味を持ってから練習をスタートするまでが早かったこと。
そして、成人式に着た母の振袖がとても素敵だったこと。
10代の時に大好きだったヴィジュアル系バンドのボーカルさんが着物好きだったこと。
私が好きだったのは「マイナーバンド」と呼ばれる、
今で言う地下アイドルみたいな感じのシーンで活動するバンドだったので、
ご本人と会話もできる環境だったのですが、直々にすごく褒めて下さったんですよね。
これは結構大きかったです。
必死に着付けを覚えました。笑
また、「似合う」以外の言葉をあまり言われなかったので、
着物を着ている自分を受け入れるのに時間はかかりませんでした。
最近になって、これは意外と稀なケースなのかもしれない、と思い始めました。
よくSNSなどで
「どうしてそんなに自分に自信があるんですか」
「個性的な服を着ると他人に見られるのが恥ずかしい」
「照れちゃって無理」
みたいなコメントをいただきます。
なぜなのか分かりませんが、すごく回数が多いです。
時々嫌がらせのコメントでも
「変わったお顔なのに自信満々で羨ましいです」
なんて言われてしまう始末で、ちょっと面白かったです。笑
また、すごく自己肯定感の高そうな中国の女の子にまで
「理美お姉ちゃんは自信があって羨ましい」と言われてしまい、
少しびっくりしました。
でも、正直に言えば、自分に特段自信があるわけではないです。
でも、他人に見られるのはそんなに気になりません。
だってどうせ他人ですから。
最初は「うわぁ~着物ってめっちゃ見られるな」と思っていたのですが、
しばらくしたら慣れてしまいました。
なので、「見られるのが気になる」「照れちゃう」みたいなことはあまり経験がありませんでした。
このあたりの感覚は、私が10代後半からずっと、
埼玉県内ではそこそこ人の多い地域に住んでいたのも関係しているかもしれません。
小学生~中学生くらいの頃、
私の年代では、いわゆる「アメカジ」が流行していたように記憶しています。
小学生~中学生くらいの頃にはPAFFYとかが流行っていて、
篠原ともえちゃんのルックが流行ったりしていました。
個性派ファッションというものが世の中に浸透し始めたくらいの年代だったのかもしれません。
一方、私は20歳くらいの頃、TWIGGYになりたくてダイエットしてました。
もちろん、日本人の私ではひざ下の長さが全然足りなくて、
あんな風にミニスカートを着こなすのは不可能でしたが。笑
若い頃からそんな感じだったので、
「人と違う服を着てじろじろ見られる」のに、慣れるのが早かったのかもしれません。
成人式で振袖を着た時は、
TWIGGYになれなかった私には着物がぴったりな気がしました。
今まで着てきた服ももちろん大好きなのですが、
着物は自分の身体の形や肌色、髪色にすごく合っていて、
まるで私が着るためだけに作られた衣服のようだと思ったんです。
着物をもっと着たいと思うのは、私にとってはとても自然な感情でした。
他人にどう見えるかはあまり気にしていませんでしたが、
今思い返すと、こういう気持ちは若者特有の独善なのかもしれません。
着物を着た私は、今までの私よりも「より私になった」という感じがしたんです。
「どうしてそんなに自分に自信があるんですか」
「個性的な服を着ると他人に見られるのが恥ずかしい」
「照れちゃって無理」
こういう風に言う方のお話をよくよく聞くと、
「その服を着ている・そのヘアメイクをしている自分の事を受け入れられない」
という気持ちの方がとても多いように感じました。
「他人にどう見られるのか不安」
というような事をおっしゃる方が多いのですが、
これって、自分から自分への評価を、他人からの評価として想像してしまうからな気がしたんです。
私から言わせていただくなら、
道行く人にそんなに興味を持つ人は稀です。
明日になれば、昨日見かけた赤の他人の事なんて大体は忘れてしまいます。
もし、人様のファッションやヘアメイクに「変だよ」とかズケズケ言う人がいれば、
それはただの失礼な人です。
相手への敬意を持っている普通の感覚の人であれば、そんな態度は取らないのではないでしょうか。
人様の発言の裏を読むのは失礼かもしれませんが、
結局のところ、他人にどう見られるのか不安なのって、
自分で「これは自分の選択だ」と本心から思えていない事の裏返しのような気がするのです。
もちろん、これは私の個人的な感覚なので、全員が該当するわけではないと思います。
中国のSNSを始めてからというもの、私は着物以外の魅力的な衣服に出会ってしまいました。
例えば旗袍(チーパオ)。チャイナドレスという呼び名が日本では主流ですが。
旗袍はチャイナタウンの女性たちも着ていて、
中国にルーツのある女性たちを国境を越えて美しく魅せ続けてきた衣服です。
年代や地域によって装飾や形が違うのも大変魅力的です。
私は特に「民国旗袍」と呼ばれるレトロな旗袍が好きです。
私が好きなアンティーク着物と同じくらいの時代のものだと知り、より興味を持ちました。
漢服は2000年代にSNSがきっかけで復興を遂げた漢民族の民族衣装。
中国の若者たちの漢服に対する興味の深さを目の当たりにするたびに、
思わずため息をつくほど感嘆してしまいます。
他国の民族衣装については、
自分以外にも大事に思っている人が多いということも忘れないようにしたい、と常々思っています。
でも、これらの服を着ていても、
別に中国の女性になりたいと思うわけでも、なれるわけでもありません。
より「私って私なんだな」と強く思うだけです。
ただ、着た時に「あぁ、また私は私になったんだな」と感じる高揚感は、
言葉にするのがとても難しいです。
結局、どんな服を着ても私は私です。
私は私以外の人間になることなどできないのです。
私以外の人間は、もちろん私のファッションやメイクを選べません。
他人にじろじろ見られたところで、その事実は揺らぎません。
人はみんな自分で選んだ服を着て生きています。
多少選択肢の不自由はあるかもしれませんが、
それでも、人間社会にいれば、消極的選択を強いられます。
ファッションやメイクの事を、ただの表層部分であると言う人もたくさんいます。
でも、私はそうは思いません。
ファッションやメイクはその人の内面の表現です。
だって、「見た目なんてどうでもいい」という人だって、
「どうでもいい」とご自分で思う服を選ぶじゃないですか。
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