こんにちは、宮寺理美です。
昨年から十二単東京というお店のアンバサダーを務めており、
中国のプラットフォームに何回か十二単の投稿をしているのですが、
毎回反響がとても大きく、「そ、そんなに??」と驚きます。
2019年の退位礼がまだ記憶に新しいというのと、
日本に興味を持つ人には所謂オタクと呼ばれる属性の方が多いので、
劇場版『名探偵コナン から紅の恋歌』の主題歌を十二単で歌った倉木麻衣さんの影響や、
スタジオジブリの映画『かぐや姫の物語』などの影響もあるようです。
特に倉木麻衣さんは歌番組でも十二単を着ていたので、大変話題になりました。
実際のコメントの内容は、「重そう」とか「平安時代の女子、どんだけ体丈夫だったねん」とか、
「トイレどうすんの?」みたいな感じで、大変正直なコメントも多いです。
ちなみに、トイレの質問や寒暖についてのコメントは、和服の投稿にも多いです。
十二単は普段着ではないので、
毎日これを着ているわけではない、と100回くらい説明しているのですが、
もう1万回くらい説明しないと浸透しそうにありません。
がんばります。
もちろん、大体の方は見た目を褒めてくださいます。
十二単はやはり大変美しいです。
布の重なりへの美意識は、やはり中国の感覚とも共通する部分が多いです。
しかし、重厚感のある襟元や重ね着の枚数には、ちょっとした驚きがあるようです。
「色数が多いのに調和している」というコメントをいただいたこともあります。
十二単の襟部分の色合わせ「襲色目」を知らなくてもそんなコメントが出てくるのは、
美しさに対する感受性が私たち日本人と中国の方が似ているからなのかもしれない、
と時々思います。
昨今の中国では漢服復興がブームとなって久しいです。
もはやブームというより、
30歳前後くらいの世代にとっては、親しみ深い服として定着しているようにも見えます。
私の中国のSNSフォロワーには、そんな漢服を愛好する女性が多いです。
日本の伝統装束へも興味を持つ方が多く、そんな方々は大変友好的です。
興味を持っていただけるのは私としても大変嬉しいです。
また、日本と中国では襟合わせの方向も同じですし、
共通しているモチーフや色使いもあるので、親しみを感じやすいのかもしれません。
似ているようで似ていない漢服という衣服を見ていると、
自分がよく親しんでいる和服という衣服についても、別の視点が生じます。
最近では和服の帯という、不可解で非合理的な存在についての資料を集めていました。
帯って、どう見ても衣服を着るうえでは不必要です。
なんなら無い方が合理的なくらい扱いにくい存在でもあります。
しかし、和服から帯がなくなってしまうと、途端にどこの国の服だか不明瞭になります。
韓国や中国、中国の文化から影響を受けた南の島の国々も、
襟合わせやたっぷりと布を使った袖などの共通点があります。
そのため、私は「和服を和服たるものにしているのは帯だ」と強く感じるのです。
そんな私にとって、もう一つ不可解な存在があります。
それは「半襟」です。
先述したように、十二単から始まる襟元の表現は、
日本という海に隔離された島独特の美意識のような気もします。
襟合わせの向きが共通している国々の伝統装束でも、
重ねた部分に特別な美意識を持っているパターンは少ないように思うのです。
そもそも、半襟を縫い付けている「襦袢」も、
下着に分類されるのに、見えるように着るのが正解の着方です。
これも、かなり特殊な存在なのではないでしょうか。
半襟が出現したのは江戸時代中期ごろだというのが定説のようですが、
髪型の変化で衣紋を抜く(後ろ首を見せるように襟と首の間に空間を作る)着付けに変化するのも、
ちょっと特殊かもしれません。
そもそも、和服は着付けという作業によって完成するのも特殊ですね。
他の国の民族衣装だと、インドサリーなどが該当するでしょうか。
最初から型を縫って作ってしまう服の方が、圧倒的に多いと私は思います。
江戸時代中期から出現する半襟の他にも、掛け襟と呼ばれる部分もあります。
浮世絵などで、町人の女性によくみられる着こなしでは、
汚れ防止に黒い繻子の布を和服の襟の部分に縫い付けています。
なんでこんなものが必要だったかと言うと、ヘアセットに鬢付け油を使っていたからなんですね。
浮世絵なんかを見る限りでは、半襟には鹿の子絞りなんかを使ってお洒落をしていたようです。
黒い掛け襟とのコントラストが実に日本っぽいなぁと思います。
近代化の時代になると、刺繡の半襟なども登場します。
明治時代はお金持ちの間では子女教育がある種の「ブーム」だったのですが、
裁縫教授の「お針屋」という機関も出現しました。
背景には、新時代の女性自立のための新しい職業としての期待もあったという説もあるようですが、
紡績業などの工業化も進んでいた時代の中、刺繍を職業として経済的な自立に繋げようとするのは、
少々無理があるように私は思いますが…
でも、これも現代人のフィルターなのかもしれませんね。
その後、大正時代も第一次世界大戦の軍需品生産による好景気だったので、
派手な半襟が好まれる傾向はより強くなったのでしょう。
現代の和服に見られるような白い無地の半襟は、
一説によると1940年に発布された『奢侈品等製造販売制限規則』以降に普及したという説もあります。
国会図書館デジタルアーカイブで詳細を閲覧することができます。
奢侈品等製造販売制限規則(昭和15年商工省・農林省令第2号)
国会図書館デジタルアーカイブ
『指定奢侈品の製造禁止』という項目に、確か刺繍も含まれています。
(刺繍以外にもかなり色々な物が規制されています。)
長い長い服飾の歴史の中で、白無地の半襟が登場したのって意外に最近なんです。
過去にこれだけ多種多様な襟元の美意識が発達しても、
ひとたび争が起こってしまえばこうなってしまうんですよね。
時折、白い半襟に強いこだわりを持つ方にコメントをいただく(もとい、絡まれる)のですが、
自分の信じる道を伝統だと強く信じて疑わないタイプの方は、
「半襟は白!」「ここは絶対にこう!」 「ここは●センチ!」
という、長い長い服飾の歴史の中で見ればかなり最近、
しかも戦争などの要因や、売り手の都合でそうなったことを
古くからの伝統と信じている方もいらっしゃいます。
しかし、白い半襟をはじめとした現代の和服の世界の定石は、
案外最近始まったものであることが少なくありません。
十二単をはじめとした衣服に触れ、海外の伝統装束についての知識に触れ、
当たり前に対して疑問を持つ機会が与えられたのは、
私にとっては大変意味のあることでした。
自分の肌感覚で価値観を知る事と、書籍などの読み物で知ったことがリンクした時、
まるで晴れた空や広い海の前に立ったように視界が開けた感覚になる事があります。
「理解する」ということは、実践無くしては到達できない事なのかもしれません。
【参考】
「明治時代の女子教育における刺繍について」
中川麻子・田中淑江著『筑波学院大学紀要』第8集 2013年 p.51〜57
http://www.tsukuba-g.ac.jp/library/kiyou/2013/06-nakagawa_tanaka.pdf
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